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 ここでは具体的に論文盗用の事例を見てゆこう。表で青字で示したのが蘇教授の著書の内容、赤字で示したのが立命館大学の韓国人留学生、張某が書いた博士学位論文の内容である。著書によると蘇教授はすでに1994年に著書のもととなった論文を書いている。張某の論文が盗用されたものであることは、このことからも明らかである。一覧表で整理したので、下記リンクも参照してほしい。なお、関西大学に留学中の韓国人留学生の助けを借りて韓国語でも読めるようにした。

日本語:http://1st.geocities.jp/isonokami2014/toyojireij.html

韓国語:http://1st.geocities.jp/isonokami2014/toyojireik.html

 

 

盗用事例(1)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

奈良県天理市の石上神宮には、

奈良県天理市の石上神宮には

上古から伝わってきている一振りの珍しい刀があり

上古から伝わっている国宝

その名を七支刀という。

「七支刀」という

・・・異様な形態の刀である・・・(67頁)

異様な刀がある。(23頁)

 

盗用事例(2)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

この刀には主刀身の両側に各々三つの枝刀があって

刀身の両側に、三本ずつ交互に枝を作り出した特殊な形の剣である。

石上神宮では「六叉鉾」と呼び、

石上神宮では六叉、または六叉鉾とも称しているし

『日本書紀』では「七枝刀」と記録している。(67頁)

『日本書紀』には「七枝刀」と書かれている。(23頁)

 

盗用事例(3)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

見る人によってはシカの角のようにも見え、

見る人によって、鹿の角と似ているとか、

または木の枝のようにも槍にも似た異様な形態の刀であるが、

木の枝のような異様な形を取っているとか、(23頁)

今はそのような類例を見ることができないのである。(67頁)

 

 

盗用事例(4)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

刀面の前後には精巧な銀象嵌で刻まれた銘文があり、

刀面の両面には精巧な金象嵌で刻まれた銘文があり、

学界ではこれを非常に価値のある遺物と見なしている。(67頁)

日、韓両国の古代史において非常に重要なものである。(23頁)

 

盗用事例(5)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

学界が、この刀をもっとも重要視している理由は、

日、韓両国で非常に高い関心を引くのはその史料価値のためである。

その銘文には日·韓古代史に初めて登場する「百○王」という「百済王」の呼称があり、「倭王旨」と「侯王」そして「泰△四年」のような年号もあって、(67頁)

「百○王」(百済王)と「泰□四年」という年号、受け取る側である「倭王旨」という銘文があるからである。(23〜24頁)

 

盗用事例(6)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

明治時代の著名な官学者である管政友(1824〜1897年)が七支刀を御神体として祀っている有名な石上神宮の大宮司に任命されたのは1873年(明治6)のことである。(69頁)

明治時代の有名な官学者である管政友(1824〜1896年)は七支刀を御神体として奉っている石上神宮の大宮司として1873年に任命された。(24頁)

 

盗用事例(7)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

ところが、この不確実な文字の中の一部は、管自身が刀面のサビをのぞく過程で故意に削除したと言われている。(70頁)

即ち、この不確実な文字の中の一部は、管自身が刀面の錆を除く過程で故意に削除されたといわれている。(25頁)

 

盗用事例(8)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

それは七支刀の製作年代と関係のある年号で、「泰」字の文字(泰□四年)と七支刀の制作と関連のあるものとみられる「侯王」につづく次の四個字(侯王△△△△作)』という。(70頁)

それは七支刀の製作年代と関係のある年号で、『「泰」の次の文字(泰□四年)と七支刀の製作と関連が深いとみられる「侯王」につづく次の四文字(侯王□□□□作)』という。(25頁)

 

盗用事例(9)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

しかし、「泰始四年」は268年であり、神功52年は252年のことであるから、

しかし、神功52年は西紀252年にあたり、西晋泰始4年は268年であるから

「七枝刀献上」は成立することができなかった。(72頁)

「七支刀献上」は年代に矛盾が生じる。(25頁)

 

盗用事例(10)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

終戦後、七支刀銘文の解釈に新しいブームを引き起こし始めた学者は言うまでもなく金石銘解釈の大家である福山敏男であった。

戦後、七支刀の研究に新しく関心を寄せたのは福山である。

彼は1951年に発表した論文(「石上神宮七支刀」)で、その間判読がむずかしかった、「侯王」と「倭王」という用語を新しく読めるようにした。

福山はそのあいだ判読が難しかった、「侯王」と「倭王」という用語を判読した。

また、年号問題においても、ながいあいだ学界のなやみであった

また、年号問題においても、長い間学界の悩みであった

西晋年号の壁を越え、東晋の「太和」という新しい年号をひきよせ、解釈の幅をひろめるのに寄与したのである。

西晋の「泰始」ではなく、東晋の「太和」と解釈した。

漢字の「泰」と「太」は同じく通用されるのが常例であるから、銘文の年号は「泰和」とみるべきであるため、これは東晋の「大和」とみてもかまわないというのである。(72頁〜73頁)

すなわち、「泰」と「太」は通じる字であり、次にくる字は「姶」とか「初」ではなく、「禾」偏に何かの字がつくのだがそれは「ロ」の字であり、「和」と読んで「大和」とみたのである。(27〜29頁)