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 続けて、具体的に論文盗用の事例を見てゆこう。表で青字で示したのが蘇教授の著書の内容、赤字で示したのが立命館大学の韓国人留学生、張某が書いた博士学位論文の内容である。著書によると蘇教授はすでに1994年に著書のもととなった論文を書いている。張某の論文が盗用されたものであることは、このことからも明らかである。一覧表で整理したので、下記リンクも参照してほしい。なお、関西大学に留学中の韓国人留学生の助けを借りて韓国語でも読めるようにした。

日本語:http://1st.geocities.jp/isonokami2014/toyojireij.html

韓国語:http://1st.geocities.jp/isonokami2014/toyojireik.html

 

 

 

盗用事例(11)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

福山の主張どおり、漢字の「泰」と「太」はお互いに意味が通じるが、

「泰」を「太」に使うのは理解できなくもないが、

金石文銘文では4画だけでなる「太」の字を、強いて12画の「泰」の字で書く理由はないのである。(83頁)

「太」の字の代わりにわざと煩わしい「泰」を使うのは理屈に合わない説明である。(28頁)

 

盗用事例(12)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

広開土大王碑文には「永楽」という好太王の私年代(391〜412年)があるが

広開土大王の碑文にも「永楽」という年号を使っている。

当時高句麗とは長い間宿敵関係を持続してきた百済においても,そのような独自的な私年代制をもっていたと推定される。(75頁)

高句麗の当時の高句麗と百済の関係を比べてみると百済は強盛期に当たる・・・高句麗と対抗して百済も私年号を使っていたとみるのが当然である。(29頁)

 

盗用事例(13)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

福山敏男は「滋または慈は済と音が近く百済を百滋あるいは百慈とも書けるだろう」と言う。(83頁)

(福山敏男が)「百■王」の■を慈と滋の字であるとみて、「これはいずれも茲に通じ、滋あるいは慈と済と音が近く、百済を百滋あるいは百慈と書くこともあり得たと思われる」と述べているのは理解できる。(29頁)

 

盗用事例(14)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

そして「百慈王·世子」の場合も同じく、万一銘文がそのように読むことができるならば銘文は当然「百済王与世子」のように書かれていなければならない。

しかし、銘文を百済王と王世子と読むためには「百済王与世子」または「百済王及世子」のように「与」または「及」の字がある時だけである。

「王世△」は「王世子」ではなく「王世世」と見るのがもっとも合理的な読法になろう。(77〜78頁)

「百済王世世」(百済王代々の意味)で解釈するのが正しいと思われる。(29頁)

 

盗用事例(15)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

福山はこれを「一応人名として考えられるが、かえって『指』と通用して「志」と読み「意」の意味である天旨、聖旨、詔旨、勅旨、令旨などの旨とみるのがいい」と言って

福山は「旨は一応は人名とも考えられようが、むしろ旨は「指」と通用し(『荀子』大略篇引詩)、「志」に通じ、「意」の意味であり、天旨、聖旨、詔旨、勅旨、令旨、垂旨、高旨、雑旨、上旨、宣旨、告旨、承旨、称旨などの場合の旨と見たほうがよかろう」と解釈方法を採った。

その意味を「倭王の上旨」に飛躍させ・・・

「旨」の字を上旨の意味に変える為何回も用語の正義を拡大、

そのようにして「下行文書」という七支刀銘文は「上行文書」に化けたのである。(83〜84頁)

・・・その部分だけが、上行文になってしまったようである。(30頁)

 

盗用事例(16)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

福山らは「倭王旨」の読法に対し異論を提起しているが、上田、栗原、三品、佐伯、李秉、金錫亨ら少なくない人士がこれに反対している。

「倭王旨」を「上旨」と読むことについて、栗原朋信·三品彰英·佐伯有清·金錫亨·蘇鎮轍らの学者は反対している。

『礼記』には「侯」が天子に謁見する時、「臣某侯某」と告げる格式があるが、この時「倭王旨」の場合は「臣倭侯旨」としなければならない。(86頁)

『礼記』には「侯」が天子に謁見するとき、「臣某侯某」という格式があり、倭王旨の場合も「臣倭侯旨」で銘文の表記と一致している。(30頁)

 

盗用事例(17)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

栗原朋信は、「銘文の中には敬語が包含されていないばかりか」、

栗原はこの銘文をみて、「文脈には敬語が包含されていないばかりか」、

「文章が下行文書の形式で上位者が下位者に下賜する形式になっている」という上田正昭と同じ立場をとっていながら、

「この銘文中には下位者から上位者へ奉献したことを示す句は見当たらない」と献上説を否定する上田正昭と似た見解を示しながら

「この刀は、百済の窮状を援助してくれた倭王の功労を高め、百済の宗主国である東晋の皇帝(海西公)が、百済を通じて倭王旨に送ったものだ。」

「この刀は、百済の窮状を助けた倭王の功労を賞して、百済の宗主国である東晋の皇帝(海西公)が、百済を通じて倭王旨に送ったことになる」

と言いながら、百済王の七支刀下賜を認定しない解釈をする場合もある。(71頁)

といい、百済王の七支刀下賜には反対の解釈をしている。(33頁)

 

盗用事例(18)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

上田正昭はこの銘文をみて、「銘文の形式が下行書の形式であり、上位者が下位者に賜る文言をとっている。」として

上田は・・・その銘文の形式は下行書の形式であって、上位者が下位者に下す文言をとっている。

「この刀は百済王が「侯王」たる「倭王」に与えたものである。

この刀は百済王が「侯王」たる「倭王」に与えたものである。

銘文のどこに献上、貢献、奉る、贈ずるという意味があるのか。献上する相手を侯王と呼ぶわけがない。

銘文のどこに「献上」・貢献」・「奉る」・「贈る」の意味があるのか。「献上する」相手を第一「侯王」とよぶはずはないではないか。

百済王が倭王に下賜した刀と、わたくしはみている」と明快な解釈をしたのである。(71頁)

百済王が「侯王」とみなした「倭王」に下賜した刀と、私は見るのである>と述べている。(36頁)

 

盗用事例(19)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

しかし、王の先世である蓋鹵王以前の年号はどういうものであったかは史料の欠如で記すすべがない。

もちろん475年以前の漢城時代の百済がどのような年号を使っていたかに関しては、未だはっきりした史料が見つかっていない。

このような干支年代は「時代的要求」によって持続してきた私年号から転換されたものと見られる。(74頁)

干支紀年と百済王名を使っていたことが金石文から確認できる。(42頁)

 

盗用事例(20)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

(『日本書紀』にみられる)百済太子らの名と同じく「加須利君」、「軍君」と「斯我君」という「君」の呼び名も当然もっていたと思われる。

百済の「侯王」は『日本書紀』に「君」とも表記されているのが分かる。

故に、「加須利君」(蓋鹵王)や「軍君」(昆支王)は百済の「侯王」として倭にいたようである。(79頁)

「継体紀」にみえる、「加須利君」・「軍君」・「斯我君」、武烈紀の「麻那君」は百済側からみれば、「侯王」であろう。(42頁)