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 続けて、具体的に論文盗用の事例を見てゆこう。表で青字で示したのが蘇教授の著書の内容、赤字で示したのが立命館大学の韓国人留学生、張某が書いた博士学位論文の内容である。著書によると蘇教授はすでに1994年に著書のもととなった論文を書いている。張某の論文が盗用されたものであることは、このことから一目瞭然である。一覧表で整理したので、下記リンクも参照してほしい。なお、関西大学に留学中の韓国人留学生の助けを借りて韓国語でも読めるようにした。

日本語:http://1st.geocities.jp/isonokami2014/toyojireij.html

韓国語:http://1st.geocities.jp/isonokami2014/toyojireik.html

 

 

 

盗用事例(21)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

「泰△四年△16日丙午日の正午に銑鉄を百回もたたいて、七支刀を造る。この刀は百兵(災殃)を避けることができ、当然侯王(旨)に与えるべきだ。

「泰□四年(百済毘有王四年(430)5月11日(16)丙午日の正午に銑鉄を百回もたたいて、七支刀を作る。此の刀は百兵(災殃·戦乱)を避けることができ、当然(倭王旨)に与えるべきだ。

先世以来だれもこのような刀をもっていなかったが百慈王は世々に奇生聖音(吉祥語)があり倭王旨の為に造った。後世にながく伝えよ。」(77頁)

先世以来未だ誰もこのような、刀をもっていなかった。百済王は世世(代々)釈尊の教えに依倚(帰依)している。故に倭王旨の為に造る。後世まで永らく伝え示すべきである。)(49頁)

 

盗用事例(22)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

「百慈王世子」が倭王旨を侯王と呼ぶことができないというのは『礼記』にあり、ただ彼の父王である「大王」だけがそういうふうに呼べるのである。(77頁)

銘文にあるように「侯王」とある倭国に「世子」と書くのは『礼記』の例から見てもあり得ないことである。(54頁)

 

盗用事例(23)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

考古学会では「隅田八幡神社所蔵人物画像鏡」または単なる「隅田八幡鏡」と呼ばれているこの鏡は、鏡背周縁部にきわめてまれな9人の人物像と48字の銘文が陽刻されている。

考古学界で「隅田八幡神社所蔵人物画像鏡」または「隅田八幡鏡」と呼ばれている。この銅鏡は、鏡背周縁部に9人の人物像と48文字の銘文が陽鋳(浮き彫り)されている。

ところが、この銘文の中には干支紀年の「癸未年」と「大王年」、「斯麻」と「男弟王」、そして「開中費直」など、日韓古代史についぞ見られなかった重大な事実が刻まれていて、見る人を驚愕させている。(21〜22頁)

銘文には、「癸未年」と「六大王(大王年)」、「斯麻」と「男弟王」、続いて「開中費直」などとあり、日・韓両国の古代史研究の非常に重要な史料になっているものである。(60頁)

 

盗用事例(24)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

古代人が抱いていた青銅鏡の神秘性は、今日を生きるわれわれとしては到底理解が出来ないとある史家は言っている。

古代人が持っていた青銅鏡に関する神秘性を、現代人が理解するのは難しいかも知れない。

とくに上古の倭人たちはその程度が他に比べて甚大だったというから、

特に、古代日本において、その関心は最も高かったといえよう。

「神意」をうけたものとして呪術的性格が与えられたものと信じたようである。

時代が経つにつれて漸次的に呪術的な力を持つようになったと考えられる。

それは一種の「権威の象徴」として、政治権力を生み出すものと信じるようになったのである。(29頁)

従って、自然的に銅鏡は「権力の象徴」として、政治権力をまで生み出す道具になったのである。(60頁)

 

盗用事例(25)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

隅田八幡鏡に関しては、いわゆる「神功皇后の三韓征伐」に関する説話があるが・・・高橋は1914年(大正3)うわさをたよりに隅田八幡神社を訪ねた・・・。(23頁)

1914年、高橋健自氏が神功皇后将来という古鏡の噂を小笠光典より聞きつけ、隅田八幡神社を訪ねてから世に知られるようになった。(62頁)

 

盗用事例(26)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

彼は隅田八幡鏡を見た途端に、・・・どうしてかくも立派な品物が「まだ国宝に登録されていないのか、実に驚くべきこと」と考えた。(23頁)

珍しい貴重な史料であるこの鏡に高橋氏は、まだ国宝に登録されていないのかと、実に驚いたという。(62頁)

 

盗用事例(27)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

銘文判読に対する高橋の最初の試図があってから約20年間、日本学界ではこれといった研究がなかった。(24頁)

しかし、銘文の主要内容を解釈できないまま20年近く研究は進まなかった。(62頁)

 

盗用事例(28)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

しかし、1934年(昭和9)、当時金石文の解釈における権威者だった福山敏男博士は、高橋の判読を土台にして銘文判読に挑戦して、ついに体系的な判読に成功した。(24頁)

1934年、高橋氏の判読を土台にした福山敏男氏が体系的判読に成功し、隅田八幡鏡は研究対象として急浮上した。(62頁)

 

盗用事例(29)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

男弟王の男弟を単純な人名と見る解釈者もあるが、これは男弟の意義を縮小しようとする意図であり、(33頁)

張八鉉の博士論文(2002年):男弟王に関しては、単純な人名と見るか、王名と見るかは重要である。(67頁)

 

盗用事例(30)

蘇鎮轍教授の論文(1994年)

張八鉉の博士論文(2002年)

男弟は文字通り弟の概念で、「下の男」を意味する古代の政治慣行に由来するものとみえる。(33頁)

男弟が文字どおり弟の概念で「下男」を意味するときは、古代の政治習慣に由来するものである。(67頁)